490日 家族がガンと闘った毎日 それは私の日々でもある

カゾクが亡くなり1年と少し

ブログの書き出しに「長らく書き込みしていませんでした‥」という挨拶文をたまに見る。

この人の空白をボンヤリと想像しながら読み進むことはあったけれど、自分がそうなるとは思ってもみなかった。

1年以上まったくかえりみなかったこのブログを、きょう見てみたら2023年1月22日で止まっていた。

2020年、自宅で1人ヴィンテージ雑貨店を始めようと決め準備を開始した途端にパンデミックとなった。

様子を見ながら古物商の許可を取ったり、手持ちのヴィンテージ雑貨を整理したり。

新型コロナの蔓延が収まらないのでとりあえずこのサイトを作り始め、WordPressに四苦八苦しているうちに突然夫のガンがわかった。

S字結腸ガン ステージ4。肝臓と肺、その他臓器に転移あり。

健康自慢で病院知らずのカゾクが珍しく体調を崩し、近所のクリニックから紹介された病院で告げられた。青天の霹靂とはこのことだろう。

それからの日々は‥日々は‥とっさには思い出せない。もちろん雑貨店など開けるはずもなく、今に至っている。

とにかく夫(以下カゾク)は、昨年2023年3月5日の日曜日、お昼に力尽きた。

カゾクが亡くなってからきょうまでこのサイトのことなど考えもしなかったし、介護について自分が書き込みをしていたことさえあまり覚えていなかった。

亡くなってからの怒涛の日々がやっと静まり、外房の家でボンヤリする時間ができて、きょうこのサイトを思い出した。

雑貨店用なのに雑貨のことなんか、ほとんど書いていない。

けれど介護についての書き散らしが、少しあった。

カゾクが旅立ち遺していったことが私にとり辛いことばかりだったから、同情で涙が出ることはあったが偲んで泣くということがなかったこの1年。

なのに読み返していたら、かわいそうでかわいそうでおいおい泣けてきた。

そして、初めて数えてみたらカゾクがガンと闘った日々は490日だった。

490日。長いのか短いのか、まだよくわからない。

生きているということは

カゾクと私は法律上婚姻していたけれど実際は別居期間が長く、ゆくゆくは離婚をしようと話し合っていた。

話し合っている最中に、いきなりわかったガンステージ4。

離婚の二文字はどこかへすっ飛び始まった、介護。

カゾクは、緊急入院し手術した病院から戻った日に一言言った。

「これで離婚はなくなったな。よろしく」

「よろしくも何もない、やるしかないもん」

と、返したような気がする。

カゾクとは10年は別居していたが、ラスト490日は毎日毎日同じ家にいたんだと思うと、不思議な感じ。

そういえば一分一秒を無我夢中で過ごした490日の間は、なぜか夢を見なかった。

辛いのに泣きたいのに、涙が全然出なかった。

どうでもよいことをぼーっと考えたり想う、ということがまったくなかった。

2024年1月から外房で1人過ごすようになってからは、夢をまた見るようになった。

いつも一緒だった猫が2023年11月空に旅立ってしまってからは、涙がこれでもかと流れるようになった。

時間だけはありあまっているから、最近ふとした時に、考えてたり何かを想ったりしている自分に気づくようになってきた。

少しずつ自分が戻ってきたのかもしれない。

今朝早く、海に散歩に行った。

靄のかかったような空と海に、線香花火の最後みたいな橙色の太陽がのぼってきた。

流木を拾い、防風林の松にたくさんついた松ぼっくりを見上げて、ふと想った。

「生きてるって気がする」

490日闘ったカゾクが、ソロ活好きな私に遺してくれたひとり時間だから大切に使わないと。

生きているということは、なんでもいいから、くだらなくてもいいから、考えたり想ったりしてるってことかな。

想うことやいろいろなこと、もう少し書いてみよう。