ジノリはイタリア初の磁器窯 ヴェッキオホワイト ピクルス皿

ジノリとヴェッキオホワイト シンプルストーリー

カルロ・ジノリ侯爵が磁器の窯をつくったのは、1735年のことでした。

その昔イタリアでは陶器が全盛で、陶器で有名だったのはマヨリカ(マヨルカ)焼きです。イタリアではまだ磁器をつくる技術がなく、磁器は日本や中国から輸入されるものがほとんどでした。

日本からイタリアにわたった磁器の、花や鳥をあしらったオリエンタルなデザインと独特のなめらかな美しさは、ヨーロッパの人々の憧れだったそうです。300年近く前の欧州で日本の工芸品が人気の的だったとは、日本もなかなかやるものでしたね。

カルロ・ジノリ侯爵はトスカーナ地方(当時はトスカーナ大公国)の貴族でした。イタリアでも美しい磁器を作れないものだろうか、アジア勢に負けたくないしな、とでも考えたのでしょうか。

侯爵は得意の鉱物学を駆使して研究をかさね、自分の領土ドッチァにジノリ窯をつくりました。

念願の磁器つくりに成功したときは、さぞかし嬉しかったことでしょう。このときにつくられた白い磁器が「ヴェッキオジノリホワイト」です。

独特のレリーフ模様をほどこしたデザインは、総称して「ヴェッキオジノリシェイプ」というそうです。

使うたびに、最新ではないけれど古くないデザインだな、と独特のレリーフ模様を見ていましたが、なんと約300年前からえんえんと受けつがれてきたジノリ侯爵の創造美でした。おそれいりました。

ジノリはその後5代にわたり美しい磁器を産みだし続け、イタリアでもナンバー1の陶磁器メーカーに成長しました。

1896年にはミラノのリチャード製陶社と合併して、リチャードジノリ社になりました。リチャードジノリは人の名前だとばかり思っていましたが、会社名だったのですね。

2013年には、残念ながら破産宣告を受けてグッチの傘下に入り、グッチリチャードジノリになってしまいました。

グッチリチャードジノリは言いづらい、とクレームが入ったかどうかは知りませんが、2020年には「ジノリ1735」というブランド名になりました。

大きな会社を継続するとは、なんだかんだ大変なことなのでしょう。

気楽な庶民のわたくしには、いつまでも短く「ジノリ」でいいです。

ヴェッキオホワイト ピクルス皿を3枚発見

リユースできる食器を探していたら、ヴェッキオホワイトのピクルス皿が3枚でてきました。

ジノリにはピクルス皿といわれる皿が数種類ありますが、でてき他のは野菜の茄子の形をしたヴェッキオホワイトのことです。

ずっと以前に2枚購入して、1枚を家族に結婚のお祝いでプレゼントしました。その1枚、家族と一緒にもどってきました。

しばらくして、家族はピクルス皿を置いて、また嫁いでいきました。また2枚になった。

2021年に引っ越し作業をしていたら、3枚目の同じお皿を発見。新品。ジノリの青い箱に入ったままでした。家人が仕事関係でいただいてきたらしいですが、ブランド食器に興味がない人なので、そのまま押し入れにつっこんでいたようです。

このピクルス皿の形は大好きなのですが、食べるものをのせるには意外と使いづらいのです。

左右対称ではないし、うずまき模様の装飾があるせいか、ぬか漬けやゴボウ漬けがまったくしっくりこないのです。そもそも、おみそ汁や納豆と一緒にこのお皿を並べたいとは、ぜんぜん思いません。

かといって、ピクルス漬けが似合うかというと、そうでもない感じなのです。

どちらかというと、オイスターホワイト色のペンキがところどころかすれたような、フレンチアンティークな鏡の前に置いて、ふだん使うジュエリーを入れておく、という使い方が似あいそうです。

わが家では、なかなか出番がないお皿です。

1枚は、いつのまにかふちが少し欠けてしまったので、銀継ぎをしようと考えています。

✳︎個人の感想と体験をもとにした雑記です